いつまで経ってもWi-Fi繋げられなくて無理お困りでしかない、結局みんなアハモなんだほんっと、毎日カフェインの錠剤飲んでるせいか最近心臓が苦しいし
お腹からガス出てくるし早く良い休憩所を見つけなきゃならないし、でも流石に今日寝不足だったら体調不良を疑われて心配されたのでやっぱりまずい、仕事も演劇も両方やりたいよ〜、多分?早く寝たいから夜ゆっくりできないの涙だけどシュクメルリもどきシチュー美味しかったからハッピーあと40分後からミーティングって何事、仕事は楽しいよ、まだずっとしばらく研修だから仕事じゃないけど、私にとっては興味あるものなんだけどな、
先週の土日に九十九里浜まで片道2時間自転車で行けなかったの本当に私的には問題だと思う、だって、もう、日々老化、運動しろ、走るにはズボンがうるさい、適当に走っていたら広場を見つけた悪くない、深夜に抜け出す時に来よう、それにしてもなんでこの町は夜に歩いている人間が見当たらないんだ、20時にはほとんど人がいない、深夜に九十九里浜行く方がいいかも楽しそう、まともにならなきゃいけない感じが本当に無理、久しぶりに摂取したら本当にマズい、できれば二度と同じ道は歩きたくない、明日死ぬとなったらもう一度でいいからやりたいこととか思いつかない、散歩に出たら家が遠いよ、なんで家がいっぱい建てられてるの、意外と私たちが知ってるような「都心」ってホントに限られてるのかも←都心じゃない、なんだ、千葉ですらこうなんだから、私たちが知らないだけで世の中は結構車社会なんだ、結論全部無理、お願いだからあなたは面白くない人間にならないでください、渋谷のシーシャバーにいそうな歳上男性特有の話し方ってあれなんなんですかね?分かりますかなんかあの感じ、つまらないあまり価値のない会話をしてしまうことをもっと反省して

みんな新社会人という現象に力入れすぎじゃなくて?何をそんなに、という気持ちで、少女漫画のドジっ子みたいだねは欠点を良いように言うとでしかないし、
京成線で泣いてたし、勝手に待ち受けにした後輩2人の写真が可愛くて泣いたし、とにかく高校卒業とかより寂しい気がして、というか私年々やっぱり涙腺弱くなってるわけで、だから30歳以上のおばさんおじさんたちの「これはめっちゃ泣く」って感想は信用ならんし

大体、いつも本番1分前とか、始まってからとか、じゃないと実感ないタイプだし
めっちゃ寂しい、という割にはみんな割とすぐ会いそうだけど、人生限られてて一緒にいれる人間・時間を割ける人間に限りがあることも悲しい、まじでみんな幸せでいてほしい、私が思ったりせずともだけど
人生ダメになったとき用のルートがいっぱいあるので早くダメになればいいとも思ってるかも
3/31までにやっとかなきゃいけないことって他になんかありますか?
でもマリもいる5人見れて元気になったので、やっぱり私は立派なファンになるしかないので
ヒッチハイクで大阪まで→電車でぶらぶらしながら帰る→色んな後輩といっぱい喋る→ミクニヤナイハラからのとうたらりん、でどう考えても消化不良起こしてるんですよね
(という下書き供養)
まさか入社式後の懇親会後にBe Real初めて入ると思わないし
おれちゃんとしてくれ、今日の私なかなかキモかったなーやっぱり寝なきゃダメだ

 

未だに、面白くない人間には価値がないという呪いの中にいる気がする。でも見えてた世界が絶対じゃないって思えたこと


一方で、ただの人間が舞台にいるだけで演劇的に面白いかと言われたら面白くないということはそうであり、やはり見せ物にすることは大切であると思うし、でもそのための方法は色々あるということ(これだ)、劇研的な、例えば唐十郎的な、身体だけが、「舞台上の身体」でないこと!

(五反田団が部屋で練習してたから会話サイズが日常サイズになったみたいな話とか面白かった)


あ〜私この光景が好きだったんだ、舞台上の彼らを観ていて、死にたくなって苦しくなって憧れてどうしようもなくなるような、そういう感情にずっと動かされてたんだって思い出した。それがすごくありがたかった。

(そうすると、私は演劇が好きなのか舞台上の好きな人間たちが好きなのか、でもやっぱり演劇は好きだよ、だっておもろいもん。でも後者ってなんかまた違う気がする、そういう何か自分の中から湧き上がってくるようなそういう感情、最近全然出会えてなかった気がする、)


彼らが良いとされるとき、でも私にだって良さはあり、それはあるいつかのどこかのタイミングでは評価されないものだとしても、全ての世界で完全に価値がないというわけではない、ということがやっぱりまだ分からずにいる

だから、あの人の作品を見る時に、あの人へのなれなさに死にたくなることがついてきて、そして演劇を好きでいることも、全てが許されていない気がしていて、


そういう意味で今回は、これは彼や彼らの作品であり、彼の価値観において良いものであるということ、その前提で、自分と彼らを切り離して自由に見ることができて、その意味で楽に良いと思えた気がした。

彼らには彼らの良さがあり、彼らと比べて(ある基準において)できない私が否定されているわけではないこと、苦しむ必要はないこと、そういう意味で、彼らの評価基準で「良いね」と言えること。そういうことで良かった。

これが全てでない、ということが分かることって大きい。世界には、平田オリザも、太田省吾も、藤田貴大も、石崎竜史も、卓卓も、色々な演劇がある。ガチ素晴らしい、マジで、本当に、こういうのが幸せだと思う。世界が開けること。岡田利規も希望だ。タニノクロウは変だ、気になる。いやでもかなり希望だ。絵とかレイアウト?とか直の演劇からじゃなくてもいい、ということ。

そして、野田秀樹は、もうおじさんだ、面白いけど。ちゃんと。でもちょっと古い。でも、昔の人たちの中では圧倒的に面白いと思う。でも野田秀樹だけが全てじゃない。世界の広さは素晴らしい。そしてそう思ってしまうことは別におかしいことじゃない。

おじさんで面白いのって三谷幸喜野田秀樹くらいな気がする(私にとって、ね、)大体悲しくなってしまう、おじさん達がおじさん達で、ターゲットに入ってないと感じる。そういうおじさん達の文化で育ってないからかもだけど

だから、自分がAだと思うことはおかしいことじゃないと思えること、それってとても素敵でとても希望でとても幸せなことだ。0305