鳥取

 

夜行バスを待ってる間、家の最寄り駅でやってたご当地パンフェアで買った、熊本のネギパンを食べた。食べ始めてから思い出したけど、私生のネギ嫌いだったわ、ネギ臭い。(神戸着いてから食べた滋賀のサラダパンは美味しかった)

北海道、沖縄、博多、山口、長崎、台湾、フィジー、韓国、辺りで永遠に悩んでたけど、鳥取にした。好きな先輩が好きだと言ってたお話、主人公の高校生と先生が冬に鳥取砂丘に行ってたから。

鳥取に着いた瞬間に、あ〜なんでここいるんだろうってちょっと落ち込んだ。基本的に旅って苦手だ。テンション上げなきゃ、頑張らなきゃ楽しめない。
鳥取市中央は、宮崎市街みたいだった、ボンベルタとかある辺りの。(ボンベルタ最近なくなったらしいんだった、悲しい)
明らかに、だって別物なのに、〜みたいと言ってしまうこと、浅はかだ。面白いんだけど。そういう表現の仕方しかできないこと、手数が少なすぎる。仙台のことを立川みたいと言ってみたり、この作品は野田秀樹みたいとか。

 

鳥取のバスは、交通系ICが使えないし、お釣りが出てこないタイプの現金投入口だった。それを知らずに500円玉を入れたら、後で120円をもらえる紙を運転手さんに書いてもらったのに、その紙をなくした。

伝える気があるのかないのか分からない車内アナウンス。「このバスはこの後、回送となります。」って言葉、なんか悲しい。

 

砂丘近くの山の中の何もなさが、まるで、一般に知られてはいけない人体実験が行われている施設に思えてさらに嫌になった。立ち入り禁止って書いてあったのがそれっぽかったんだけど、でも、ただの砂の美術館の裏だった。
もう少し進むとおばあちゃんおじいちゃんだらけで、ちょっとだけもう少し嫌になった。

砂丘は砂で、砂だった。みんなが同じように、砂山に登り、海を見て、そしてまた降りていく、その一様さがなんだかとても愚かだなと。みんなが同じように観光!の場所に来て、観光!をしていること、なんかつまらなく思えてきてしまって。でも、ほんとはそう思ってしまう自分が一番惨めなんだけど。
(後から池袋に戻った時、駅に大量にうじゃうじゃしている人間と、砂丘でみんなと同じように砂山に登って降りていく人たち、の間に、あんまり違いがないような気がした、そういうことかもしれない。)

(本当に人は海を見て、人間ってちっぽけだなぁ、なんて、思ってるのかなって海を見て思った。ありきたった表現。)

もう、それで全部が嫌になった。海風?が寒かったし、砂が靴に入りまくるのも良くなかった。鳥取に、世界の果て味をどこかちょっと期待してたのに、全然そんなことなかったのも悲しかったのかもしれない。

憂鬱になりにきてるので、それはそれで正しいのだけど。「北海道とか行きたいんだよね、でも寒いから落ち込みそうだな」って言ったことに対して、「良いじゃん落ち込みに行こうよ」って言ってくれたあの子のことは、好きだ。

あ、でも、鳥取行きたいとラーメン食べたいって同じだ。
行っても「あー」で、食べても「あー」で、それ以上でもそれ以下でもない。
せっかくお金を払って何かをしても、全ての経験が無なんじゃないかって感じられる時、そういうときすごく虚しくなる。虚しくなるのが怖くて、最近出来ないことが増えた気がする。

 

砂では幸せになれなかったけど、フグ定食と温泉では幸せになれた。良かった。入って真ん中に番当がいるタイプのガチ地域型銭湯で、券の買い方やら分からなくて、最初ちょっと怖かった。