相手が一番傷つく悪口を考える会は多分楽しいじゃないか、"人は他人をどこまで不快にできるのか"。その人の考え方とか人生とか出てきそうだし、ちゃんとした不快ってなかなかなれないじゃんか、すごく苦しいを出現させたい。

とびきり不快にされたいし、不快にしたい、中途半端になるより、ちゃんとめんどくさく生きたい?めんどくさくなれるほどのモノに対してじゃなきゃメンドくさくなんてなれない。

自分という存在を感じたくないから、ワタシを殺してくれる、みたいな演劇が見たいのかもしれないし、それってただ心が健康じゃないだけで、そしたら健康だったら、殺してはくれないけど良質な演劇を観れたら満足できるかもしれないじゃん。
殺されたい、は演劇に求めなくていいわけで、でも殺されたいを満たそうとして作られた演劇はどれくらい評価されるんだろうね。世の中の人はどれくらい健康なんだろう?みんな少しずつおかしさを抱えながら生きてるでしょう?

でも今日観たのはちゃんと舞台上で苦しんでて良かった、やっぱり実は近くにあるかもしれない、殺してくれて、死にたくなってぐちゃぐちゃになって、もうだめだってなって、もういいやってなって、もうこれでいいなってなれるもの